特集;DOS/V機製作記
98互換機の皮を被ったAT互換機は、こうしてできた
1,計画の概要
Windows95時代となって、さすがに"EPSON;PC-486GF(怪)も重くなってきた。手持ちのパーツを見たらケーブル・小物類を中心にかなりの量があるではないか。特に386GEの死体(ケース)が使えそうである。そこで、下記の方針をたてた。
@ CPUは、Pentium/166MHz以上を使用。
A M/Bは、上記のCPUに対応のこと。
B HDD・メモリは、出物(時価)次第でコスト・パフォーマンスを追求する。
C ケースはEPSON;PC-386GEの死体を改造 EPSONの5インチ・ベイは、[1インチ×3]だがハーフハイト×2がぴったり。
(右参照)
2,使用部品
@ CPU Cyrix 6x86L PR166(133MHz動作)
A Main Board;MicroStar;MS-5139 購入元(今は亡き)Built-UP
Main Board(以下 M/B)には、ALIのAladdin-V(430HX互換?)を載せた<MicroStar;MS-5139>を使用。最近流行の3/4Baby-AT(8'×9')で、コンパクトなのが取り柄だが、性能には見るべきものはない。特に、スーパーIOチップにも自社製を使用しているため、事実上FDDの3モード化ができない。
しかし、このサイズでなかったら作れなかったことが後に判明。
B SIMM EDO 4MB(60ns)×2+32MB(60ns)×2
メモリは、8MBのEDOを特価\3,000で購入し、様子を見ていたらどんどん下がりだし、64MBも射程内に入ってきたので合計72MBにした。
ただし、新規に購入した64MBは、"Panasonic"の刻印があるものの、メモリタイミングを下げないとハングする。もしかすると、リマーク品?
C AT-keyboard Techno-Bird製 JAPAN AT-109キー
当時のジャンク品より安い!全く問題なし
D Mouse(PS/2) ※PS/2ポートは、自作。
E FDD SONY製 MP-F17W-P4(2モード)
FDDは、最初手持ちのSONY製 MP-F17W-P4(2モード)を使用したが、1.2MBが読めないのは、あまりに不便なのでTOMCAT製の3モードドライブに換装した。付属のユーティリティーをMEBIUSにインストールしたら1.2MB/8セクター・フォーマットもできるようになった。
ところが、1年と1ヶ月ほど使用した(つまり、保証が切れたとたん)ところでドライブがイカれ、やむなく2MODEに逆戻り。
F HDD Quantum Fireball ST21(2,161MB)
HDDは、暫定処置としてMK-1926FKP(東芝製810MB)をとりあえず流用していたが、中古の2GBを\13kで購入。そう言えば、Quantumのドライブって始めてだった。現在は、富士通の3.5GBに換装
G Video& Sound Board ; Diamond Multimedia;EDGE3D 3400
3Dグラフィック(VRAM 4MB),PCM・MIDI音源,SEGA-GAMEポートこれにゲームソフト3本ついて、なんと\4,800!
絶句
HCD-ROM TOSHIBA;XM-5602B(8倍速)初期投資の制約から8倍速。
I 電源 ASTEC;SA145-3460(145W) 購入元拠O青
パワーが足らないことは、最初から予想したとおり。しかし、手持ちのジャンク電源(ICM製ストライドHDDの電源だったもの)にドライブ関係を委せたところ快調。ちなみに補助電源無しの場合、M/B+FDDが限界。
Lケース(EPSON製PC-386GEの死体)
使えるかどうか、現物合わせでやっているうち残ったのは、
a;フロントパネル
b;底板とフロント・フレーム
c;上カバー
だけ。リアパネルは、アルミのアングルでスクラッチ・ビルドした。
3,製造過程
(1)筐体の製作 まず、箱を作らなくてはならない。
@ PC-386GEの死体から取り外せるものを全て外す。
A M/Bを当てて寸法を合わせてみる(ここで、部品が並べきらないことに気付く)。
B 昔のASCII('94/6)を読む
C ドライブ関係と電源を2階に上げることにする(OLIVETTIやTEAC製のデスクトップ機に採用例あり)。
D ドリルで邪魔になるアングルや補強リブを取り外す (結局全てのアングルとリブは邪魔と言うことになった)
E M/Bに合わせて取り付け穴を開ける。
F 電源を50mmスペーサ上に付けることにする。電源の下が、メモリ・ソケットとケーブルコネクタ群になる。
恐ろしくメンテナンスしにくいが、やむを得ない。
G HDDは、以前ジャンク屋で買っておいた98FELLOW用の取付金具を使用して付けることにした。
H IOパネルをアルミ板から作り(右写真参照→)、Com1・2,LPT,PS/2(Mouse), Keyboardを取り付ける。
I M/Bを取り付ける
J PCI/ISAスロットにボードを付けてみて、リアパネルを組み立てる。
K ドライブベイをアルミ板とパイプで組み立てる。
(2) 配 線
@ リセット・スィッチ、LEDパネルからの配線・コネクタをAT用に新しく付け直す。
A M/BにCPU・ケーブル類・video board・FDD等最低限必要なものを付ける。
B 電源を繋ぎ、ユニットを仮止めする。
C 配線をチェックしたら、電源を入れてみる。
D BIOSが立ち上がり、「ピポッ」と音がすれば、一応成功
E 全部品を取り付け、再度起動試験。
F 動作すればケースのフロントパネルとカバー本体を取り付ける。
G Win95のインストール
H 各種アプリケーションのインストール
4,ここまでのトラブル
(1)製作中
1.フロントパネルを付けると起動できず。
→リセットスィッチ(市販の押しボタンスイッチを改造使用)とパネルが干渉。スイッチの頭を削って調整
2. 画面が出ない
→非常に恥ずかしい、ボードがしっかりささっていなかっただけ。
3.PDにアクセスするとハングアップする。
→BIOS中のメモリの設定で"Pipelined Function"を"Disable"にすればOK。同じドライブをCD-ROMで使うと全く正常。謎?。セクタサイズ(PD=512Byte,CD-ROM=2,048Byte)の関係でFATのバッファが溢れるためかも知れない。ちなみに"Asustec製430HX
M/B"では何の異常も発生しない。メモリタイミングを遅くすると問題がなくなるところから、原因はメモリにあると考えられる。
5.その後
BIOSアップデート
今のBIOSは、Ver.1.4です。買ってすぐアップデートした。
CPUの表示に"K-5(K-6ではない!!) 166"が追加されただけらしい。
Windows98導入
実はここで、大変不思議な体験をすることになった。
Setupは、HDDにコピーしたファイルから行った。ファイルのコピーが終わるまでは、実に順調であった。
で、自動再起動するはず? ところが。ところが。ところが。
「画面が暗くなった。じゃ、待つか。」 → 「うん?いつまでたってもそのまま?
あ、そうか、システムのいろいろ調べているのか…。」
→ そして、1時間経過(かわらぬ画面を見て)
「こりゃあ、変だ??!! しょうがない、電源落とそう。」
→ 「なんだ、ちゃんと立ち上がるじゃないか。」
→<数時間経過>→「あれ?終わらない。なんで〜。」
→「しゃーないな、再セットアップしちゃえ。」
→<数時間経過>→(状況に変化なし。)
原 因;2ヶ月ほどこのまま使用。しかし、使用中に突然ブラックアウトするなど、次第に泥沼化。
万策尽きたかと思ったある日、ふと動かしたシステム・ファイル・チェッカー。
すると、「このファイルは、壊れています。」が43回現れ、そのつど復元・再起動したら、
「わぉ〜、再起動した。(初めて!)」
その異常なし。しかし、どうしてこれで動いていられたのだろう?